2009年12月07日

青シート☆7の公演を見てきました。

かるぽーと3Fガレリアで上演された
青シート☆7旗揚げ公演を見てきました。
演目は「淋しい都に雪が降る」

前回のシアホリでは浮浪者の親子が登場する物語を上演しました。
しかも結末では小学生ぐらいの息子が残飯に入っていたしめ鯖にあたって
食中毒で死んでしまうという身も蓋もないお話でした。
今回の「淋しい……」も浮浪者二人の物語ということで
ぼくたちがやってたお芝居をある意味客観的に観ることができたような
そんな気分になれました。

というのも。
やっぱ浮浪者の物語っていうのは見てて
そんなに気持ちのいいものではないということなんですね。
じゃ、なんでそんな話をするのかという演劇的命題(おお!大上段からの大げさ発言!)が
ここで生まれてきます。
けど、それは一旦置いといて。

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前回、ぼくたちがやりましたお芝居と比べるならばですね。
ぼくたちのやり方はほぼパントマイムでしかも黒ずくめの格好で
観客がだんだんと「あぁ、これは浮浪者の話なんだな」と
わかるような仕組みにしていたのに対し
今日の作品は、かなりリアルな衣装、小道具、もちろん演技に至るまで
作り込んでしっかりと「浮浪者」していたのでありました。

それは小道具へのこだわりにも感じられて
例えばリュックサックの中身もしっかり考えて詰められていたのではないか
アニキが荷物を持ってきて床に置くと、中のビンがかちゃりと音をさせる。
そういうちょっとしたところで舞台のリアリティが増していたように思います。
ビニール袋に入った食い物をマイ箸で食べるとか
酒を飲むくだりとか
アニキが新米の弟分を叩く度に頭から埃みたいなのが飛んでたりして
(それは計算なのかわかりませんでしたが)
そういう細かいところがすごくリアルだった。
いや、プロの舞台でもこういうところがおろそかな時って結構ありますよ。
「触らないだろう」とスタッフが安心しきっているものを偶然俳優が手に取ってしまって
それであっさりと 作り物 であることがばれる。なんてね。

また、客席の座布団の下には段ボール敷かれていて
「あー、段ボールはあったかいなあ」と実感しながらの観劇がリアリティに拍車をかける。
後ろの方では炊き出しなど用意されていたのでその臭いも客席に届き
それが上演中の芝居の内容とリンクしてしまって、ホント、気持ち悪かった。
だって目の前では社会的レベルの底辺にいる二人が拾ったモノ食べてるんだよ。
ぼくは五感を使ったパラドックスの中に落ち込んでしまったような気分になって
なんだか、生きるということの生々しさを感じさせられました。

山岸さんの演技はぼくは初めて拝見しましたが
とても自然でリアルで、すばらしい演技をされていたと思います。
ぼくがとっても好きなタイプのお芝居でした。
つうか、本物の浮浪者かと思いました。
いや、ホントに、山岸さんの演技はすごくレベルが高くて驚いたというのが正直な感想です。

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さて、先ほどちょいと大上段に構えた大げさ発言であります
演劇的命題ってやつですけど。
つまり、なんで好きこのんで浮浪者の話なんて金を払ってまで見なければいけないんだ、というね。
この作品の存在意義とも言い換えていいんだと思うんですけど
それについて、ぼくはヒシと考えた。
くどくど言うのも何ですからいきなりぼくの思った結論を言いますと
つまりこれは、「ステレオタイプから外れてしまった人間」と
「ステレオタイプにはまってしまった人間」の相互理解を描いたのではないかと思うわけです。

それなら別に浮浪者を使わなくてもいいじゃないか、って疑問に思われる節もあるでしょうが
しかし、それを我々と別世界である浮浪者の世界を用いることで
逆に、「どこであっても起こりえること」として描くことができる
つまり、物語に普遍性(出た!普遍性!)を持たせることができるんですね。

この辺の普遍性うんぬんについては長くなるので別の機会に。

安西寅さんが演じた弟分は、これはもう杓子定規な男でありまして
戦争の話をしたがるし、家族やなんやかやを懐かしがるし、
モノを抱え込みたがるし、あまり深いことを考えないし、
ごくごく普通の男でありまして
観客に一番近い、「あー、俺が浮浪者になったらこういう感じかなあ」と思わせる存在であります。
それに引き替え山岸さん演じるところの兄貴分は
何を考えているのか分からない
というか、頑固で多くを喋らず、生きる知恵に長けていて
「あー、この人はすごいなあ」とぼくから見たら遠い存在として映るわけですね。

もし、ぼくの考えるように、この二人の「相互理解」について
つまり、「わかりあうこと」を作品の重大な要素として考えるのであれば
この観客と登場人物の距離感が反転してしまう瞬間
つまり、『弟分が兄貴分に殴りかかろうとするシーン』へ向けて演じられなければならなかったのではないか
そう思うのであります。
あの瞬間、あのシーンで力関係が逆転し、人間性が逆転し、すごいがすごくないになって、ぼんやりがはっきりになる。
だからそれに立ち会った観客は相当に「どきり!」とするはずなのでしょうが
ぼくが鈍感だったのか、さほどのショックを受けることはありませんでした。

うーん。
それともそのシーンじゃないのかなあ。
ぼくの見方が間違ってたのかなあ。

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終演後、シアホリ新人のしおりちゃんと感想を言い合ってて
彼女はラストで二人が死んじゃった!と思ったらしい。
ぼくは脚本を読んでいないのではっきり言えませんが
あそこで死んじゃダメだろ! と強く思った。
もしかしたら脚本では「二人、死ぬ」とかト書きが書かれてるかもしれない。
だからあんな演出にしたのかもしれないけど。
でもさ!死んだら酒が飲めなくなるだろ!
醜くともしぶとく生き残っていくんだよ人間は!
と、ぼくは強く強く思ったのですが、確かにあの演出は死んだともとれるラストシーンで。
その辺もうーん、もっとはっきり見せてくれてもよかったんじゃないかなと思いました。
「死んだ」とも「生きてる」とも取れるラストシーンはちょっとずるいよなあ。

雪が降る意味ってのは、つまり、それも普遍性を描いてるのであって
誰にとっても平等に起こる奇跡ってのが
「雪、ふらねえかな」ってつぶやいた後にホントに降っちゃうってことでしょう。
貧乏人だろうが金持ちだろうが、老人だろうが恋する二人だろうが
みんな平等に、「雪が降ればいいなあ」でホントに降ったら奇跡なんですよ。
ぼくは、そのシーンでも、できればもっと「どきり!」としたかった。

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なんだかんだと書きました。
このお芝居は全体的にとてもクオリティの高い芝居であったと思います。
そして、演劇でしかできなかった空間がそこにあったのも事実で
もっともっとこういう高いクオリティの舞台が高知で上演されるようになればいいなあと
切に願って寒空チャリこいで帰ったのでした。
お互い頑張っていきましょう。
そしてシアホリの次回作もよろしくお願いいたします。
posted by m.hiro at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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