2010年05月27日

パルコ劇場で「裏切りの街」を見てきました。

先日東京で、舞台「裏切りの街」を見てきました。
センセーショナルな演出で話題の劇団「ポツドール」の
三浦大輔さんの演出する作品でした。

ぼくはこれまで三浦さんの作品を見たことがなくて
ただ遠い噂でしか聞いたことがなく、
「すげーな」と
「東京は怖かところばい」と
単純にそういう印象を受けておりました。
何が怖いか、センセーショナルかと言えば
「ポツドール」の作品では
直接的な性表現、暴力表現があるということらしいのです。

東京にいる時分から、表現の過剰な劇団を避けて来ましたが
俺もおとなになったことだし、ここらで一つ、
こういうのも見てみるかと思い立ち、
パルコ劇場に「裏切りの街」を見に行くということに相成ったわけです。

さて、ここからは完全ネタバレでぼくの感想を述べさせていただきます。
これから見ようという方、
また、内容を知りたくないという方はこれ以上は読み進めないでくださいね。




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それでは。

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物語は、20代のニートの青年と40代主婦の不倫を軸に展開していきます。
ニート青年は彼と似た年齢のOLに養ってもらってます。
なんかパッとしない毎日に嫌気が差して出会い系に電話する。

主婦の夫は優しいけどキモくて、性的にもどん欲で
なんかやだなーっていうんでその主婦も出会い系に電話をしたのでした。

そして二人は知り合います。

1回目のデートは何もせず
2回目のデートでキスをして
3回目でホテルに行く。
ここで第一部終了。

まあ、あらすじはざっくりこんなもんにして。


始まって早速、ありましたよ直接的な性表現というやつが。
普段のポツドールではどんな演出でやってるのかわかりません。
ぼくは今回の舞台におけるセックスしか見てませんから。
なんちゅうか、その、ぼくにはこの作品における「セックス」の意味づけが
よくわかんなかったです。
この芝居に必要か?とも思いました。

「裏切りの街」は、正直に言ってすごい作品だと思うのですが
それは決してあからさまなセックス表現があるからではなくて
とても細かい演出的なテクニックというか、
丁寧な表現で登場人物の心の動きを表現していたからで
たとえばそれは二人が電話してデートの約束を取り付ける
それであわてて服を着替える二人
その描写がとても細かくて丁寧で
二人の心の動きが手に取るようにわかりました。
男は洗濯物の中からTシャツを取りだし、着る前に臭って確かめる。
主婦は鏡を見ながら急いでメイクを直し、慌ててジャケットを着込む。
そして三浦さんが非凡なのは、一度部屋を飛び出したあと
急ぎ足で駅へと急ぐ二人の姿もきちんと舞台に乗せているということ。
普通の演出家ならカットしてしまうシーンも舞台の上にのせることで
芝居自体のリアリティが増していたように感じました。
お見事としか言いようがありません。

さて。
普通の演出家ならカットしてしまうシーンも舞台に乗せている
それが三浦さんの手法だとして
だからこそセックスを舞台に乗せるのだという論理も確かに成立する。
でも、ぼくはそこは決して同じではないと思います。
駅へ急ぐシーンとセックスしているシーン、
これ、同じ?
やる側も見る側も感覚に随分な違いがあると思うんだけど。


……いや、ちがうなあ。
ぼくがなんでこの作品におけるセックスがイヤだったかって
それは違うところに理由がある。
この作品におけるセックスがとても下品で醜いものだったから
ぼくは作品自体にも嫌悪を感じてしまったのです。
腰の動きが単調なんだ。
性行為がすごく機械的に描かれてるんだ。
そこに心の機微がないんだ。
そこに心なんてないってことの表現なんだ。
ぼくにはとても違和感があった。

やってから好きになることだってあると思うんだよな。
また、普段は不細工な女の子でも、
やってるウチにかわいく見えてくることだってあると思うんだよな。
セックスって、とても心が必要な行為だと思うんだよな。
いや、それも人それぞれだろうけどさ。
心なんかいらねーっていうケモノ派の方もいらっしゃるでしょうけど。
でもね、世の中にケモノがいるとしたら
ケモノと同数ぐらいはぼくと同じ考えの人がいたって
いいとおもうんだけど。
作品中にケモノしか登場しないというのはちょっと違うんじゃねえかと。
そう思ったわけです。

単純に居心地がいいとか
セックスしたいとか
その程度のモチベーションでそんなに逢瀬を重ねるかねえ
あんな困難を乗り越えることができるかねえ
中盤戦からいくつもいくつも疑問が浮かんできてしまいました。

第一部がぼくには純愛物語にみえて
「これはおそろしい程の天才の仕事かも知れん」と
どっぷり演劇世界にのめり込んでいただけに
後半第二部における、物語の没個性化に、ぼくは落胆してしまったのでした。

セックスという行為はつまらないものだと思います。
それは、セックスには個性がないからです。
やることは一つしかありません。
誰がやっても同じ事です。
個性がない。
あれやこれや理屈をつけても結局セックスしちゃえば
なんちゅうか、全てから個性が奪われてしまう。

この作品は丁寧にテーブルに並べた素材を
最後は暴力的にひっくり返してしまうような内容で
観終わった後にとても嫌な気持ちになりました。
それは、作品中に自分を見つけたからではなく、
作品中にはぼくがいなかったからです。
この作品にいるのは、誰だっていい誰かであって、
どこかにいるかけがえのない誰かではない。
個性がないっていうのはそういうことで
あの作品にいるのは、ぼくでもいいんだろうけど
ぼくじゃなくたっていいんです。
だったら、ぼくはあんなところにいたくない。
だから作品中にぼくはいない。

そもそも、そんなにセックスしたいか?
そんなに性欲って感情と切り離されてるものなのか?
セックスって否定しなきゃいけないものなのか?
主婦があのニートを好きになっちゃダメなのか?
セックスってそんな単調な作業なのか?
そんなことを考えてしまいました。

登場する人物は全員が誰とも関わり合っていません。
個人が現実の中に点在するだけで、個々が繋がらない。
みんなバラバラ。ただ一人ぼっちで苦悩するのみ。
この作品ではみんながみんな、誰かと強く結びつく発想を持たないんです。
その選択肢がないんです。
関係はとてもライトで刹那的。
あたかもこの世界にはそれ以上のつながりは存在しないようでもあります。
それはある意味、ファンタジーを見ているような感覚でした。
現実的じゃない世界。
誰もつながらない世界。

松尾スズキが何故妻に不満があるのかがわからない。
さとみちゃんはなぜユウイチを捨てないかがわからない。
松尾スズキが愛情における不感症だとしたら、
「なんだよ、お前もかよ!」って思うし
(だって作品中そんな人しか出てこないんだもん)
さとみちゃんがユウイチでもシンジでもどっちだっていいって思ってるなら
「お前もかよ!」って思う。

だーれも傷つかない。
ただ見てるこっちがショックを受ける。
そんな作品でございました。
ぼく以外でご覧になった方は一体どのような感想を抱いたのか
とても気になる作品でもあります。
そして(こんな言い方であれですが)前半は抜群に面白かった
この人は天才だ!と思ったのも事実です。
三浦さんはすごい演出家だと思います。
是非、性表現や暴力のない作品を見たいと思います。
posted by m.hiro at 15:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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