2011年04月05日

黒沢清「回路」見ました。

昨日の稽古は脚本の読み合わせの後に
時間を作って映画「回路」を見ました。



ぼくは観終わって、なんだかなーって気分になったのだけど
というのも、前半と後半で全然おもむきが違っちゃってて
結局なんの映画なのかぼくにわからなかったからそういう感想になったのでした。

わけのわからない展開が、なんだか明らかに意味深で
「すごい映画を撮ってるんだぞ
わかんないだろ、だって難しいんだからな」というような
作り手による上から目線の傲慢な感じを受け取ってしまって
(いや、ぼくの勝手な解釈ですけどね)
ぼくはちょっと素直に受け取ることができませんでした。

もしかしたら半分は
ぼく自身、今は作る時で受け取る時じゃなかった
だから素直に受け取れなかったという理由もあるかもしれない。
めっちゃ個人的な話ですけれども。
でも今のぼくが、自分の作品で精一杯で見る環境にないのは明らかですからね。

でもねでもね。
前半と後半で全然おもむきが違っちゃう映画でも
とても好きな作品だってあるんだよね。
キューブリックさんとかさ。
そして難解でわからない映画も好きなんだよね。
デヴィッドリンチさんとかさ。
そういう作品には一生懸命さがある。
「回路」からは一生懸命さが感じられなかった。
一生懸命ってかなり大事な要素で
あるのとないのとでは大きく、決定的に、致命的に違う印象を抱いてしまいます。

最近、難解さについて考えるのですが
難解さというのは狙ってやるものではないような気がしています。
一生懸命、わかりやすく作ろうと努力したけど、
やろうとしてることが複雑なだけに、結果難解になってしまった
というのが、作り手の姿勢として正しいような気がしている。
キューブリックさんやリンチさんの作品は正にそうで
その展開でしかありえない、という、作り手の苦悩が感じられるのです。
フルメタル・ジャケットなんて、とてもわかりやすい映画だと思うのですが
だったら、前半のあれ、なんだったんだ
あれが後半のあれにどうつながるんだ
考え出したらわからないことがどんどん出てきて
見る度に感想が違ってきてしまう。
それはつまり多角的に作品を見ることが出来るということ。
すなわちこれが「深い」作品ということなのでしょう。

苦悩というか、計算というか、追究というか、そういうもの。
それがない作品はつまらない。少なくともぼくには。
作品の前では作り手は自由ですから
つまり、何をやっても許されるので
あれやこれやいろんなことを試しつつ
自由に伸び伸びと作品へ取り組まなければならない。
そこに答えはありません。
だから不安を抱えながら不安定なものを生み出すことになる。
どうしていいかわからなくて、悩みつつ作っていて
本番まであと1時間あったら、また違う作品になってたかもしれない
そんな危うさを含んだ作品こそ、多面性を持ち得るのではないだろうか。

そして、またこういうことも言えると思います。
その作品には、そうとしかありえないポイントがある。
作者は作品を生み出すにあたって自由だというけれども
そりゃ、何をやってもいいんだろうけど
でも、一瞬見えた「正解」を探りつつ作品に取り組んでいるわけで
結局、自由ではないのです。
その「正解」に縛られている。
作ってる側は「そうとしかありえないポイント」を探している。
それが作るということかもしれないなーって思うわけです。

作者は作品の前では自由である。
そして作者は作品に縛られている。
一生懸命でなければ、その二つを内包できません。
作品と真っ正面から向き合わないと、底の浅いものになってしまうっていうのは
そういうことなのではないでしょうか。
掘ってもすぐに底が見えてしまうような浅い作品には
難しさを演出するような、おこがましさを感じる時があります。


「回路」の後半の展開はぼくには必然性がわかりませんでしたが
とあるサイトでその解釈をみつけて、
あの作品をその人がどう読み解いたのかを拝読することができました。
もし、あれがネット社会に対する批判で撮られた作品なら
ぼくは「なんて陳腐なメッセージ!」と思ってしまう。

難解さを売りにした作品で
それを読み解いたことに優越感を抱かせる作りになっているものは
陳腐な答えのものが多いように感じる。

というか、観客が簡単に「読み解いたぞ!」と言える程度の浅い内容ということかもしれない。

そして作品の弁護をするなら「回路」の真意はそこにないのかもしれない。

しかし読み手は難解であるほど陳腐な答えを欲しがるとぼくには思える。

難解な作品は、(当然っちゃ当然ですが)作り手の実力が試されるかもしれませんね。
観客が易々と「読み解いた!」などと言えないような
わかった!と思った次の瞬間にスルリスルリと観客の手から逃げてしまうような
そんな作品を作らないといけません。


自戒をこめて書きました。
いろんな意味で。

ぼくは自分のやろうとしていることが
自分自身も混乱するくらいに複雑で
というか、整理されていないので
できるだけわかりやすくするようにつとめること
ぼくがどれだけ観客に近づいていっても
それでぼくの作品がわかりやすくなることはないという気がするし
観客もそれほど簡単に近づいてきてくれるとも思えない。
とにかく、一生懸命、泥臭くも
おもしろいものを作ろうという努力を捨ててはいけないわけですね。
決して評論家や同業者のために作ってはならない。

もしも回路がネット批判の映画なら
もっともっとわかりやすくなっただろうに。
その方がイメージを伝えることができただろうに。
わかりやすいことは徹底的にわかりやすくしたらいいのに。
わかりやすいことをわざわざ複雑にして喋ってどうするんだ。


先日、ぼくの作品をご覧になった方からいただいた感想を伺っているうちに
ぼくがおそろしく陳腐なメッセージを込めていると思われているのに気付いて
全くそんなつもりがなかっただけに、観客の目はおそろしいと
そして現段階では圧倒的に作り込みが足りないということだなと
しみじみ考えていた所でした。
その方にはぼくの作品がとても浅いもののように映っていたようでした。
感想を伺って、それが誤解だと気付いてしまっただけに
とても悲しい気持ちになりました。

次回作はホラーです。
ぼくが勉強した所では、ホラーは説明をしてはいけないというのが鉄則のようなので
説明をせずにどこまでわかりやすくできるのか
それはしょっぱくて甘いものを作るような、一件矛盾したような感じもありますが
実際、ホラーの良作はたくさんあるので
ぼくたちもそっちを目指して頑張ってみようと思います。
次回作、お誘いあわせて是非ご来場下さい。


あ。
黒沢清作品では「降霊」が面白かったです。
というか、その2本しか見てませんが。
近いうちに「CURE」を見てみるつもりです。
「降霊」はジャパニーズホラーではかなり怖い部類だと思います。
こちらはマジでオススメです。


posted by m.hiro at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 座長日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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